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サカキシンイチロウノホトンドゼンブノブログ
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    プロフィール
    HN:
    サカキシンイチロウ
    年齢:
    65
    性別:
    男性
    誕生日:
    1960/01/26
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    今日封切りの映画、「ラブリーボーン」をレイトショーにて。

    lovelybone.jpg自分を殺した殺人犯から家族を守ろうとする、被害者少女の霊の物語り。
    …、と言ってしまうとまるでオカルト映画のように聞こえる。
    しかもテレビで流れている「オーラ三輪」さまのおどろおどろしいCMフィルムが、へんてこ映画かもしれないってそんな懸念に拍車をかける。
    けれどこれ。
    素晴らしい、見事な映画でありました。
    今まで観た映画の中でもかなり上位にランクされるべき、独創的なるイメージと力強いメッセージに溢れた名作。
    何しろ、映画のオープニングから、彼女が殺されてしまうのだというコトがすぐわかる。
    その彼女を誰が殺したかも当然わかるし、おそらく彼女はめでたく天国に召されることも、そして彼女を殺した犯人には必ず天罰が下るだろう…、ってすべての結末が映画開始後10分ほどでわかってしまう。
    問題なのは、それがどのように行われるかというコトで、それが恐ろしいほどの緊張感とサスペンスなムードを作る。
    一時たりとも、ワンシーンたりとも見逃すことが出来ぬハラハラドキドキがある。
    そのサスペンスの中に、考えさせられる問題提起がいくつかそっと埋め込まれてる。
    例えば…。
    人はいつかは今の役目を終えるときがやってくる。
    それが「死」であったり「引退」だったりするのだろうけど、残された人のコトを心配したり手助けしたりすることが結果、彼らの迷惑になることが多いということ。
    後は野となれ山となれ的無責任が時には必要になる、ということ。
    それから何より、復讐ではなく愛を選ぶ人生がまず確実にシアワセである…、なんてあれこれ。
    しんみりしました、泣きもした。



    因みにこの映画を撮ったピータージャクソン。
    ゾンビ映画を撮ったかと思ったら、壮大なる騎士道映画で人は何のために生きるのかという深くて重いテーマをえぐる。
    それに続いたキングコングでは、男らしい生き方を描いて涙を搾りとってくれたりと、本当に同じ人が撮ったのか?って思うほどにいろんなタイプの映画を撮る。
    けれど一貫しているのが「ファンタジーなイメージをきめ細やかに積み重ね、本来あり得ない世界にリアリティーをふき込む」手腕の素晴らしさ。
    死後の世界ってもしかしたらこうかもしれない…、って。
    細かなディテールを見直すために、あと何回か観てもいいかな?って思ったりする。
    オキニイリ。

    0af22bac.jpeg夜遅くまでやっててとてもありがたい、ジェラートショップの「グロム」でアイスを食べながら、みんなで映画のあれやこれやをみんなで話す。
    話し始めると話題が尽きず、みんな興奮しながら気付いたことをてんでに話す。
    こんな映画は最近ちょっと珍しい。

    それにしても公開初日のレートショーにて、劇場の入りは少々ユルユル。
    ヒット大作を驚くほどの短期間に、次々リリースした監督の意欲作。
    なれど、ジョニーデップがでてない映画にゃ、人は見向きもしないのか?って、ちょっと残念。
    スーザンサランドンが演じる、1970年代のアメリカにいがちだったイケイケおばさんの名演技。
    犯人役を演じているのが、実は「プラダを着た悪魔」で身振りたおやかな上司を好演していた人なんだけど、その気持ち悪さたるや完全にカポーティーのシーモアホフマンを超えたんじゃないの…、って思わせるほどの見事さだったり芸達者が勢ぞろい。
    見ごたえあります。
    観るべき映画だと思うんだけど、さてさてヒットいたしますやら。
    どうなんでしょう、さて寝よう!

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    ずっと封切られたら観なくっちゃ…、と思っていた映画を一本。
    「Dr.パルナサスの鏡」directed by Terry Gilliam。

    d66e24cc.jpg主役のヒースレジャーが撮影途中に逝ってしまったその穴を、彼の友人、ジョニーデップが引き継いだ。
    けれど撮影時間が思うにとれぬ、ジョニーデップの穴をまたまた彼の友人、ジュードローとコリンファレルが埋め合った…、という、「4人1役」という前代未聞の映画となった。
    下手をすればつぎはぎ映画。
    それがネ…。
    「最初からすべてが仕組まれていたかのように、上手くいったんだ…」って、監督が言うほど、本当にすべてが見事に上手くいっている。
    自分にとって自分はいつも揺るぎない一人の人格。
    けれど、他人の目にはいろんな自分が見えているのに違いない。
    人は主観でモノを見る生き物である…、っていう、この映画のテーマのひとつを期せずしてとても分かりやすい形で表現したことになる。
    災い転じて福となす…、的、おもしろさ。

    それにしても奇想天外にしてコッテリとした映像美。
    つくづくテリーギリアムってバルーンだったりクラシカルなガジェットだったり、あるいは空気をはらんでひらめく布が好きなモチーフ。
    どこをとってもギリアム印の映像世界…、堪能しました。
    満腹です。
    ボクらは右か左かという二者択一の世界を生きてる。
    それが良いか悪いかわからず、必ずどちらかを選び続けるボクの横には、ボクに選ばれなかったもう一つの世界が存在しているかもしれない。
    そのもう一つの世界に向かって開く扉が「パルナサスの鏡」なのでありましょう。



    ちょっと音声レベルが低いのですけど、いろいろ動画を探した中でこれが一番キレイだったので選んでみました。

    parnaposter.jpgそれにしても同じ映画の予告編も、いろんなバージョンが存在しててたとえばこの映画だと日本語版とアメリカ版、そしてこれはイギリス版。
    それぞれ微妙にアピールしているところが違う。
    イギリス版はテリーギリアムの映画であること強調し、アメリカ版ではヒースレジャーの遺作である…、ってコトがメインテーマになっている。
    それが一転、日本語版はジョニーデップの映画みたいになっちゃっている。

    ジョニーデップ目当てに観ると、ちょっとガッカリさせられる。
    けれど集客のためには致し方ないことなのでございましょう。

    今日もまるでキツネにつままれた みたいな顔して、劇場をあとにしている人が一杯いました…、罪作り。
    ポスターだっていろんなバージョンが存在してます。

    当たり前ならミニシアター系でし か公開されぬギリアム映画が、新宿を代表するシネコンの一番大きな劇場が満杯になっているのも、ジョニーデップさまのお陰でもある。
    そう思ったらしょうがない。
    エンターテイメントという子供っぽを秘めた無邪気な世界と、一方、興行という大人の世界の異なる事情。
    それはそれにておもしろい。

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    レイトショーにて映画を一本。
    今日から封切りの「サロゲート」


    surrogate.jpg自分の仕事は、自分そっくりの「代理人ロボット」に任せてしまえる近未来の物語り。
    しかも、自律的に行動までする人工知能型ロボットではなくあくまで人がコントロールする。
    つまり「アトム」じゃなくて「ジャイアントロボ」。
    仕事をしていて、もっと自分が自信に満ちて見えればもっとすんなり契約がとれるのに…、なんて悩むコトがない世界。
    だって、そのロボットは自分がなりたい自分にカスタマイズすることが出来、例えば仕事だけじゃなく、夫婦生活も「なりたい夫」と「あるべき妻」を演じることで円滑なモノになっていったりする…、設定。
    主演のブルースウィルスの代理ロボットの髪はふさふさ。
    自宅モードは無精髭でツルツル頭…、っていう具合。
    女サロゲートはタイのニューハーフコンテストの参加者たち。
    男サロゲートはラルフローレンのコマーシャルに出てくるモデルたち。
    みぃんなまるでファッション雑誌のマット処理したグラビア頁で微笑むモデル…、みたいな感じが間抜けでたのしい。
    ブルースウィルスが昔、主演した、「永遠に美しく」って映画の死に化粧のよう。
    何か都合の悪いコトがおきると操作している人がプラグを外せばストンと、サロゲートがフリーズして現実逃避ができるって、その設定もなかなかにいい。
    ネット社会の風刺みたいでおもしろい。

    まぁ、そんな都合の良い世の中のシステムにヒビが入って、そして人は大切なコトに気付き始める…、という落とし所をどこにするんだろうと観ながらハラハラ。
    ディズニー映画系列の配給会社の映画でありつつ、かなり骨太。



    インターネットとe-mailで、いろんなコトがこなせてしまう今の世の中。
    例えばネットの中の人格が独り歩きしてしまう、そんなコトが当たり前におこってしまうこの状況からシームレスにつながっている、決して絵空事じゃない物語りかも…、って思ったりもする。
    ボクはフィクションを生きているんじゃない…、って、そう胸を張って言えるのか。
    ちょっと心が痛みます。

    ところでこの映画。
    観てると「ステップフォードライフ」って5年ほど前に作られた映画のことを思い出す。

    stepfordwife.jpg妻を自分の言いなりになるロボットに改造してしまう…、って物語りで、グレンクロースとベットミドラーの怪演さわやかなるホラーなコメディー。
    自分にだけ都合の良い身代わりを作るという行為は、神に背く所業であって必ず天罰が下るのですよ…、って、それが主題。
    キリスト教的な倫理観とでもいいましょうか…。
    ロボットって言うものに対して、無邪気な憧れを抱く日本人。
    それに対して根源的な不信感をもつアメリカ人。
    日本人はアトムを生んで、アメリカ人はそれをiRobotにしてしまう。
    おもしろいなぁ…、って思います。
    とは言え、ASIMOのようにぎこちなく歩くロボット型のロボットを心穏やかに見ていられるボクも何故だか、人工皮膚をまとって微笑むアンドロイド型ロボットを見ると、どうしようもなく居心地悪く感じる不思議。
    アメリカ人の気持ちがちょっとわかるような気がしてきます。

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    ひさしぶりにクラシカルに戯れる朝。
    METライブビューイング。

    メトロポリタンオペラのステージを、ハイヴィジョン映像でたのしみましょう!と言うイベントで場所は新宿の映画館。

    tourandot.jpgオペラ。
    人間の創り出した舞台芸術の最高峰の一つ…。
    っていうか、正確には「劇場芸術」の最高峰だと、心から信じるオキニイリ。
    オーケストラピットをへだてて、こちら側には着飾った観客。
    向こう側には舞台装置と大仰な衣装をまとった演者たち。
    舞台の上では滑稽なほどに愚かしい、激しい愛の物語りがくりひろげられていく。
    その愚かしさ。
    自分の心の中にも必ずある業のようなもので、だから身につまされる。
    非日常を絵に描いたような舞台の上の出来事だ…、と思わなければあまりに切なく心穏やかに観ていられない。
    芝居の中の悲劇的を客観的にたのしむために。
    自分たちは幸せで、こんな悲劇とは無縁の存在なんだと思い込むために着飾るコトを必要とする。
    そんなオペラな空間そのものが大好きで、けれど今日は映画館。
    「普段着plusちょっとお洒落」でかけつける。

    演目は「トゥーランドット」。
    数あるオペラの中でこれがナンバー1のオキニイリ。
    献身的な愛。
    傲慢な愛。
    自分しか愛さぬ氷のように冷たい愛。
    独りよがりな情熱。
    にもかかわらぬ理解と献身。
    悲劇の影の濃さと深さが人の幸せをより輝かせる。
    地中海の夏の日ののぼせてしまいそうな明るい太陽の下で生まれたオペラの、典型中の典型に今日も涙す。

    それにしても映画館のスクリーン越しとはいえ、その臨場感の素晴らしいコト。
    幕間に時間を使って舞台裏の様子を見せてくれたり、オペラグラスを必要としないカメラワークで歌手の表情までもが見つめられたり…。
    あるいは歌手や裏方スタッフのインタビューが挿入されたりと、本当の公演では経験できないサービス満載。
    これはこれでなかなかたのしい、いい体験ができました。
    観ながら、そして聴きながら、それでもやっぱりまたニューヨークでこの感動に触れたいなぁ…、と。
    がんばらなくちゃと思う朝。

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    映画を一本。
    「かいじゅうたちのいるところ」。

    wherethewildthingsare.jpg世界的ベストセラーの映画化…、なんだそうであります。
    残念ながらその原作を読んだことはない。
    けれどコレ。
    映画の中にでてくるいろんなキャラクターを、見ればなるほど、絵本の中から出てきたんだなぁ…、ってすぐわかる。
    絵本の世界を映画化する際。
    最近のはやりはCG。
    この世にありえぬファンタジーな世界を最新技術でつくり出すのがブームのようで、けれどなんとこの映画。
    かいじゅうたちはみんな着ぐるみ。
    顔の表情を出すのにCGを使ってはいるみたいだけど、基本的にはアナログ映像。
    それが不思議なリアリティーを生んでいたりする。

    「誰もが幸せに暮らせる場所」。
    そこが「かいじゅうたちのいるところ」。

    ボクが宇宙の中心だった、遥か昔の子供の頃。
    ベッドの中でいろんなことを思ってなかなか寝付けなかったあの頃は、夢がうつつに滲みでてきて「あそこの自分」と「ここの自分」の区別がつかないコトが結構、普通にあった。
    子供の頃のボクは、作り話が大好きで、しかも上手でみんながそれでシアワセになるのがとってもうれしかった。
    子供の作り話は嘘じゃない。
    夢物語り。
    けれど大人の作り話はウソなんだよ…と、作り話をせぬようになる。
    同時に夢も語らぬようになる。
    それが大人になるってコトなら、ちょっと哀しい。



    言葉の映画。
    ひとつひとつの台詞を噛みしめるように考えながら、じっと見入った。
    ずっしり重たくいくつかの台詞を何度も反芻しながら見通して、最後の最後。
    映画終わりのエンドロールのところで涙がなぜだか出てきた。
    不思議な映画でありました。
    夢を夢って割り切って、それが大人になることだったらちょっと寂しい。

    人が大人になるというコト。
    それは何かを捨てるコト。
    本来いるべき場所がどんなに厳しくて、辛いところであっても、決してそこから逃げぬ勇気を持つコトの、そんな大切を教えてくれる。
    ボクは今まで何を捨ててきたんだろう?
    ボクが見捨てたさまざまは、今、どうなっているんだろう…、って、そんなコトを思ったりした。
    ボクの中にはまだ夢がある。

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