先日、うれしいニュースがココのコメント欄に投稿されて、それで今日は有楽町をグルンと回って出勤をした。
「はまの屋」というサンドイッチがおいしい昭和の喫茶店。
昨年12月23日をもって突然閉店というコトになってしまっていたのだけれど、そこが再開したという…、ならば来なくちゃと早速今日の朝となる。
有楽町の駅前にある三菱地所の古いオフィスビル…、その地下の昔どおりの場所に昔のまんま、お店は確かにオープンしてた。
中に入ると家具もそのまま。
メニューも昔のものよりちょっと商品数は少なくなってはいるけれど、ほぼかつての通りでちょっとワクワクしてきます。
誰がやっているのかしらん?
そう思って見渡すと、若い人達。
みんな今風のイケメンで、喫茶店を志す人っていうよりどうかなぁ…。
渋谷ベンチャー系の若者たちって感じの風貌。
それもわらわら4人もいて、こんな小さな、しかも客単価の低いお店がこんなに人が張り付いてても大丈夫なの?ってちょっと心配になっちゃった。
そういえば、お店の名前がただの「はまの屋パーラー」から「はまの屋パーラー有楽町」という店名に変わっていたのもなんだか微妙。
もしかしてここの他にもお店を作るつもりじゃないよね…、っていらぬ心配してしまう。
そう思って、お店を観察してみるといろんなところが変わっています。
まず灰皿がなくなった。
だからか朝、タバコを吸いにやってきていたおじさんたちの姿はなし…、空気はキレイになったけれどニギワイなくしてちょっとさみしい。
ピカピカのシュガーポットやピッチャーも姿を消して、ガラスのポットに座を譲る。
キラキラ度合いが減ったようで、やってる人は若いのにお店自体は若々しさや潤いなくした…、なんだかかなりの違和感感じる。
サンドイッチをたのみます。
ハムと玉子を半分半分。
パンはトーストしてくださいネ…、と昔ながらの注文ができるところはなんともウレシ。
カシャカシャ、玉子をかき混ぜる音。
ジャジャっと焼く音。
そのトーストにカサカサ、バターやマヨネーズを塗る音が聞こえてくるのもいい感じ。
やってきたのは、ほぼ前のまま。
お皿が若干大きくなって、かつての「こぼれ落ちんが感」がなくなってしまっているのは残念だけど、まぁ、しょうがない。
さて、いただきますと食べると、あらら。
違います。
ハムはおんなじ、レタスのシャキシャキした分量感も同じだけれどパンがまずい。
それほど焼けていないのに、カサカサ、空気が吐き出され歯をくすぐって邪魔する感じ。
焼けた玉子は昔のまんま。
これは見事でウットリするのに、これまたパンが邪魔をする。
甘いのですね…、パンそのものが。
しかも噛んでいくうちにどんどんネトネトしてきちゃう。
前やっていた人たちに、商品づくりを聞いてしっかり再現しているという。
技術が習熟していないから出来栄えが違ってしまうというならわかるけど、素材選びがそもそも違う。
これは大きな問題だろう…、とかなりガッカリ。
形を真似るコトに関してはいい線いってる。
一枚を四つ切りにして一切れ一切れが細長い長方形になっているというのは、まさにはまの屋スタイルで、けれど細かなところがまるで違ってる。
だからなおさら残念で、悔しくなっちゃう…、勿体ない。
コーヒーの器も変わって、一杯づつペーパードリップで落としてる。
味はむしろ今の方がおいしくなってて、けれど昔の酸味の強い昭和なコーヒーがなつかしくなる。
サービスにってビスケットを一枚つけてるんだけど、誰がこんなサービスをウレシイって昔のファンは思うんだろう。
なにより悩ましいとこが、働いている人すべてにここで生きていこうと言う決意やムードが感じられない。
まるで大学祭の模擬店みたいなユルサがあって、「商売」じゃなく、「ビジネス」っぽいムードがなんだか流れてる。
ビジネスの匂いのする場所で、人はホッとくつろげない。
特に喫茶店のような「憩い」を提供する場所は、どこかとぼけた商売抜きな空気が必要。
そしてなにより以前のココのおじさん、おばさんの人柄に変わる何かをまだこの店は発信できていないというのが、寂しく哀しさ生む理由。
ここで生きていくんだと言う決意が店を輝かせる。
ここで生きてきたんだと言う誇りが店を老舗にさせる。
ボクの勝手な思い込みかもしれない、けれどいわれなき違和感覚える…、このままだったら昨年敢えて言わなかった「さよならはまの屋」って言葉をいつか、本当に言わなくちゃいけなくなるかもと、それが一番哀しくて、しばらくココはそっとしとこうと思ったりした、月曜日。
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