昼を渋谷の路地の裏…、ポトフを食べる。
朝、イタリア料理の話をしながら、最後は「豚」の話題になった。
豚を食べる文化性。
世界各国に異なる文化があって、日本はその点、後進国かもしれないです。
豚といえば、生姜焼きかとんかつという時代が長くて塊肉を食べる文化はつい最近。
沖縄なんかに行くと、豚の文化があったりするけど、豚のすべてを食べつくす台湾だとかイタリアだとかの豚の文化には目を見張る。
そもそも豚の育て方そのものが違ってたりして生ハムや豚の煮込み、あるいはロースト。
あぁ、イタリアで豚の丸焼き食べたいなって言っていたらば本当に豚を食べたくなった。
それで渋谷の街をふらふら。
歩いていたら、おいしそうなお店を発見。
渋谷の街にして一戸建て。
それも角地で窓が大きく、何屋だろう…、と覗き込む。
「139」と入り口の上に書いてあり、窓の上にあるテントには「サントラントヌフ」ってアルファベットで書いてある。
フランス語で139。
なぜ139なんだろう…、呪文のようでオモシロイ。
近づいてみたらばビストロ。
入り口のところにパンが置いてて、そこだけみればカフェのよう。
けどバーカウンターがシッカリしていて、ワインバーのようでもあって、面白そうでそこにする。
結構な繁盛店のようであります。
1階の客席は窓際のテーブルひとつしか残ってなくて、そこに案内されて座った。
今日はとても天気がよくて開け放たれた窓から入ってやってくる、空気の流れが気持ちいい。
このお店が出店している路地…、
表に書いてあったメニューに「豚のポトフ」というのを見つけて、それを迷わずたのんで待ちます…、まずはサラダ、そして玉ねぎの冷たいポタージュ。
このポタージュが甘くてトロトロ。
表面のクリーム部分はただただなめらか、スプーンですくうと底から湧き出してくるのが甘みを存分に引き出した玉ねぎのピュレ。
口に入った瞬間に、あまりの甘さにたじろぐほどでお腹の口がトロンと開くような気がする。
スープを食べてる間も次々、お客様がやってきておそらく2階も一杯になったのでしょうか…、ウェイティングがではじめた。
こうしたお店の厨房は大概小さい。
だから厨房の中は混乱を極めているのでありましょう…、ちょっと料理が遅れます。
メインのポトフ。
プロの料理というよりも、家庭料理な感じの姿。
ニンジン、ジャガイモ、それから玉ねぎ。
ソーセージはパキッと皮の頑丈な、普通の粗挽きソーセージ。
塩漬けにした豚のばら肉。
どれもきっちり煮こまれて、ナイフを使わずフォークとスプーンでホロッとほぐれる。
煮込んだ野菜や肉をナイフで切り分けるより、スプーンの背中で潰して食べる。
煮汁と具材が自然に混じって、おいしくなるような気がします。
それにしても煮たニンジン。
なんでこんなにおいしいんだろう。
人の好き嫌いってクルクルかわる…、ずっと苦手だったニンジンが最近、おいしく感じる不思議。
そして豚肉。
身はホロホロとほぐれてフックラ。
スープをタップリ含んで口の中でとろける。
何しろ脂がおいしくて、豚の脂ってなんでこんなに甘いんだろう…、って。
酸味のきいたマスタード。
タップリぬって口に含むと豚の甘みがなおさら際立つ。
昔、台湾に行くたびに現地の料理研究家の方が、豚を一匹屠ってゴチソウしてれていた。
残飯だけを食べて育った太った豚で、それはそれは脂が甘くてうまかった。
脂をタップリお腹に抱いたところを茹でて、お粥と一緒に食べるのがたのしみで、お粥自体には味がまるでついてないのに旨くて、旨くて、しょうがなかった。
素材が良ければ調味料とか調理技術とかを弄さなくても、素材自体がその本当の美味しさを思い出しておいしくなってく。
それが「持ち味を活かす料理」というコトなのだろうと思うのだけど、日本の素材。
その持ち味を忘れた素材があまりに多く、そこから変えていかないと日本の料理は変な料理になっていくんじゃないのかなぁ…、と思ったりする、どうだろう。
甘くておいしいドリップコーヒー、ゆっくり味わいほっと一息、さて仕事。
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