昨日は映画を2本、観る。
歌って踊って泣いて笑ったgleeの後に、「猿の惑星・創世記」。
随分テイストの違う作品を選んじゃったなぁ…、って最初は思った。
軽めの音楽映画でしかも歌って踊ってってクラブ気分をたのしむ映画と、人と猿との抗争を描いたドッシリした映画。
ただ、その根底にあるのはどちらも「差別と、その差別からの決別」を描いた内容であったというコト…、その偶然に独り合点をする昨日。
映画史に残る名作のひとつ「猿の惑星」の、なぜ人間と猿の立場が入れ替わってしまったのかという前日譚を、描いた作品。
魅力的な原作がなかなか見つからぬ今の時代に、ヒットシリーズのはじまる前を、独自の解釈付きで描いた最近流行りの「ビギニングモノ」でありますけれど、これがなかなか良くできていた。
人間の中にある、救いようのない弱い部分。
自分と違うモノに対する嫌悪感。
警戒心から、無遠慮なほどの観察をして、結局、自分に比べて劣るとみるや無慈悲なほどの優越感を発揮する。
侮蔑。
嘲り。
彼らがおとなしくしているうちは無関心を装える。
ところが自分たちよりちょっとでも優れたところがあるのではと思った途端に憎悪、迫害そして殲滅という道筋をたどってしまう。
同じ人と人とがそうした関係に陥ることもあるワケで、相手が猿となれば尚更。
なぜ人は、自分と違う存在を認めようとしないのだろう。
その奥底には自分が理解できないモノへの恐怖があって、ところが猿は種族や部族を超えて互いを認め合い、慈しみあい生きていけるというその部分が皮肉で見事。
考えさせられることも多くて、なかなか骨太、オキニイリ。
ところで、猿を導くリーダーが、それまで彼を虐待しつつ見下していた飼育員に向かって「ノー」と言葉を発するシーンがあるのですネ。
緊張感に満ち溢れたクライマックスに向けて映画の流れをかえる重要なシーンなのだけれども、「ノー」と言った途端にゲラゲラ、笑う人がかなりいたのにビックリします。
猿が人の言葉をしゃべるということを、滑稽と思える気持ちがとても気持ち悪くて、その人達はこの映画を一体、どんな内容の映画だって思うんだろう。
同じ映画や同じモノをみて、みんなが同じ気持ちを抱く…、ってそう思ったらいけないんだなぁ…、ってなんだかちょっと思ったりした。
『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』予告編 from niftymovie on Vimeo.
それにしても一作目からもう43年。
あの作品はボクが8つのときの映画だったんだ…、って、そう思ったら時の流れがあまりに早く、残酷なコトに身が縮みます。
白人と有色人種の間のストレスがテーマの映画を生んだ当時と、今の環境は若干違う。
果たしてボクらの中にある、今の差別は一体何が理由で生まれてくるんだろう…、ウォールストリートを覆うデモとか、あるいはギリシャ、そしてエジプト。
世界のいろんなところで起こる人と人との衝突は、どうなったらばなくなるんだろうって思うとちょっとなやましい。
ちなみに、感傷的なテーマでありつつけれどセンチメントに流されず、テンポよく話が進んでいく脚本と見事なCG、なにより説明し過ぎず、イマジネーションをかきたてるエンディング…、天下一品を感心しました、いい映画。
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