新宿にある「箱ずし」で昼のお弁当をかってゆく。
好きな店でありまして…。
ほぼテイクアウト専門の大阪寿司のお店なのだけど、手際が見事。
まず寿司を切り分け、盛りつけるとき。
年かさの、熟練職人さんって感じの人がやおら、大きな包丁を取り出しエイヤ!と切ってくのです。
中華料理のシェフが使うような形、大きさ。
けれど刃の部分が円弧を描いて磨かれている押し寿司用の包丁で、それを使って惚れ惚れするほど見事な手際で、寿司をとりわけ切っていく。
棚に並んだ押し寿司の下にその刃をすべりこませる。
スッと持ち上げ、まな板の上にそっとおく。
その刃を寿司の上に当て、スパッと切ります。
凸を描いた円弧を当てて、手首を使ってクルンと包丁をゆりかご揺らすように切る。
寿司に当たる刃の面積が最小で、だから具材がズレずにキレイに切れるのでしょう。
あまりの手際にウットリします。
一人前分の一切れを、切り分けたらば残りの寿司を刃に乗せて、棚に戻して別のお寿司を同じく乗せて、ササッと持ち上げスパッと切ってく。
そのくりかえし。
それを折に盛りつけて、蓋してそれから、次の見せ場がやってくる…、と、思っていたらば、おやまぁ、ビックリ。
昔は経木の折箱で、平たい蓋をのっけてそれを包装紙でキッチリ包む。
角がピシっとうつくしく、かつてデパートの包装技術のもうひとつ上のくらすレベルにキレイに包んでくれていた。
なのに今日。
プラスティック製の蓋をパチッとのっける。
包装紙じゃなく紙の帯をクルンとあててセロハンテープでとめただけ。
こうじゃ、まるでスーパーの寿司。
箱も経木じゃなくて加工紙使った丈夫だけれど合理的な箱。
コストダウンというわけじゃない、いちいち包む時間と手間が勿体ないから、というコトなのかもしれないけれど、これまた凹む。
今日またひとつ、ボクが誇りする日本がひっそり、なくなった。
ビリッと帯を破って捨てる。
ペリッと蓋をとって、醤油をプチュっとしぼる。
現代的で合理的なモノに対する行動を、文字に変えるとカタカタ言葉がピッタリくるような、そんな気がした。
盛りつけ方も心なしか、取り散らかってるみたいに感じ、どうしてだろうと思ったら、箱の大きさが今までのものと一回り大きくなってる。
既製サイズがこのサイズなのでしょう…、いつもはすくっと立っている伊達巻きベロンと横になってて箱の内側を埋めなきゃいけない苦労を感じる。
アワレナリ!
味はそのまま…、変わってない。
厨房の中のあれやこれやはかたくなに、まだ合理化の波を受けずに健在なんでしょう。
けれどなんだか、その健気さが痛々しくてさみしくなっちゃう。
器は入れればいいモノじゃない。
手触り、大きさ、色合い、そして香りや風合い。
五感を料理で満足させるためには器はとても大切。
今でも好きだよ…。
好きだけど、熱狂するほど好きとはいない、そんな感じになっちゃった。
なんだかとってもなやましい。
ムッチリとした焼いた穴子に、エビに伊達巻。
昆布でしめた鯛の切り身が、甘み強めのシャリにのっかり舌にピトッとのっかってくる。
ムッチリとしたバッテラに、伊達巻、それから太巻寿司。
どれもおいしい、昔のまんま。
中でも太巻…、好きなのですネ、ボク好み。
茹でた三つ葉に刻んだしいたけ。
焼いた穴子に、それからシットリ、みずみずしさを保った高野豆腐がギッシリ。
ボクが育った田舎の太巻。
その味わいや具材とほとんどおんなじでおいしく感じる…、なつかしい。
ガリをがりがり齧りつつ、一口一口、ユックリ食べる。
仕事しながら味わう寿司は、大人な感じのオゴチソウ…、午後から軽くミーティング。
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